Marreブログ③エリトリアはフェイクニュースの犠牲者

最終更新: 2019年6月6日

懐かしい平和


とにかく笑顔のエリトリア人

エリトリアはフェイクニュースの犠牲者だ。

前回のブログでも言ったが、この国がアフリカの北朝鮮なら

この世界で最も安全で平和の国の一つを「悪」として断罪しているということになる。

エリトリアはとにかく平和で安全だ。

誰も殺人事件に巻き込まれるとか、盗難にあうとか、そういうことを心配していない。

そんな一面が端的に表れたのはホテルのスタッフたちだ。

シャワーを浴びる際は、フロントに「お湯使います」と言う決まりになっている。

ライブが終わってホテルに戻ればもう夜も遅い。

戻ってからも衣装を脱いだりヘアメイクをオフしたり、シャワーを浴びるまで時間がかかる。

ある夜、11時半ごろだろうか、部屋からフロントにコール。

「あれ、通話中だ」

なんどかやってみるが同じ。

水しか出ないので「お湯をお願いします」と言いたいのだが出ない。

仕方がないから3Fの部屋からロビーへ降りた。

すると、

なんとホテルの従業員がみな簡易ベッドの上で毛布にくるみぐっすり眠っている。


こういうところで夜は毛布にくるまって寝ちゃう

そこで僕は「あ、あの・・・」と言って従業員を起こし、「お湯使いたいんですけど・・」

と申し訳なさそうにお願いした。

すると女性スタッフがまったく嫌がらず、でも目をこすりながら「OK」と対応してくれた。


もちろんこれは文化の違いだ。

夜中を過ぎてチェックインしてくる客がたくさんいるわけでもないし、

目の前の通りが24時間ねむらない歌舞伎町のような場所でもない。

日本よりも遥かに健康なサイクルで日常が回っているように見える。

日本でも小さなビジネスホテルなら、夜中ともなればフロントには人がいない。

でも、ベルを鳴らせばすぐに出てくる。

夜勤の従業員が起きているからだ。

誰かが起きてないと危ない。

あるいはセコムがあって夜中なにかあれば駆けつけてくれる。

でも、ここにはそれがない。



エリトリアでは、おおらか。

ゆるやか。

笑いが出てくる。

つまり平和そのもの。

そういえば、子供の頃、田舎では鍵もかけないで夜寝ることがあったよな・・・

と思う。

そうエリトリアにいて、我々一行、誰もが感じたのは「むかしの日本がここにある」ということだ。

子供は外で遊んでいる。

道端で歌う者もいる。

エリトリアには失われつつある「古き良き日本」がいきづいているのだ。




奇跡的な民族の融和

エリトリアには9つの民族がいる。

半数がティグリニャ民族だ。

だが、民族間の抗争は一切ない。

また宗教観の対立もない。

世界のどの国にいってもだいたい「キリスト教地区」とか「イスラム教地区」が分かれている。

中国人に関して言えば必ずチャイナタウンを作ってそこに集団で住み着く。

82中華街だけでなく、新大久保は韓国タウンになっている。


横浜中華街

大阪コリアタウン

ところが、エリトリアにはそういう区別が一切ない。

国が認める公式な民族が9つ。

ところが、彼らの居住地が分かれているということはない。

公認宗教である「エリトリア正教」地区とかイスラム地区、などというものも存在していない。

エルサレムに言ったときも、旧市街は完全にキリスト教地区とユダヤ教地区、そしてイスラム地区に分かれていた。シンガポールでも「ここはイスラム」という場所があった。

ところが、エリトリアでは、民族と宗教の区別は一切ない。

そういうわけかたをせず、皆がまざりあって「和合」している。

ティグリニャ族が多数だからと言うことで、他の民族への弾圧があるかといえば一切ない。

彼らのポリシーは「9つの民族の団結」なのだ。

今回の独立28周年記念のポスターも、9つの手が輪を握っているというもので、団結を意味しているのだ。


独立28周年記念ポスター

9つの民族の中でも、クナマと言われる民族が最も少数だが、中国のように「ウイグル人」を無きものにしようとする「少数民族同化政策」などというものは「一切」ない。

それどころか、各民族が、伝統音楽や踊りなど、先祖から継承されてきたものを大切にし、それをさらに子供に継承している。

彼らは家庭で「伝統楽器」や「独特のリズム」を自然に学ぶという。あ

日本のように、日本人なのに「お琴」がひけないとか、そういうことがない。

皆、家庭で当たり前のようにできるようになっていく。

地元のプロミュージシャンたちとの交流会をやったときのことだ。

彼らは「これはクナマのリズム。これはティグリニャ」と、全民族の伝統を把握していた。

そうでなければプロとして国内を回れない。



ちょうどウエディングシーズンで、日曜日には街の至ところで結婚式をあげたカップルの美しい記念撮影の現場をみかけたが、ウエディングでは伝統音楽が必ず演奏される。


我々を案内してくれた文化スポーツ庁のモハドさんも、リズムが始まると自然に体がうごき、

「これは〇〇」

「これは〇〇族。ここが違う」

などとても詳しい。


文化スポーツ庁のモハドさん

我々が招待された西洋風のクラブでも、伝統ダンスが披露された。

九つの民族がいるから、次から次へと、9種類の衣装とダンスの音楽が続いた。

彼らもプロ。

同じ面々だが、着替えては出てくると繰り返した。

「ああ、なるほど、こういう国なんだ」

最大民族のティグリニャだけが優先されるということもないし、

どこかの民族の伝統芸がスキップされるということもない。

必ずやる。

共産主義のように「一つのイデオロギー」で、その他を弾圧し同化させていく、ということとは全く真逆。

それぞれが自身のアイデンティティを自覚し、それを大切にし至るところで、まったく当然のことのようにあらゆる機会に9つの文化が炸裂している。

それでも、互いに争い合うことなく「調和」を保っている。

前述したように宗教も含めての「和」なのだ。

こんな国があったのか!

これを見たら誰だってそう思う。

世界を見渡せば、クルド人紛争にしろ、パレスチナ問題にしろ、民族紛争だらけなのに、ここではそういうことが一切ない。

プロテスタントは弾圧の対象だと言われていたが、車の中で普通にアメリカ的なプロテスタント系のワーシップミュージック(礼拝音楽)をかけながら、普通にプロテスタントとして生きている人もいた。

特に小さな集会が禁止されているとか監視されているということもない。

エリトリア正教の教会

カトリックの大聖堂

イスラム寺院

プロテスタント教会

ビジネスも自由だ。

戦争中に安定情勢から逃れるために多くのエリトリア人が国外に移住した。

そのような離散エリトリア人も、独裁政権になった後、自由に出入国が認められている。

我々を接待してくれたクラブのオーナーはドイツで育ったが、今は帰国してエリトリアで成功している。

そこには国の役人もくる。

我々を招待したいと申し出てくれたとき、政府関係ではない人の招待を勝手に受けて、かえってそのクラブに迷惑がかかるのではないかと気にして問い合わせた。

彼らが逮捕でもされたら大変だ。

ところが彼は「そんなことは全く問題ない」と我々を招待してくれ、そこは文化スポーツ庁の担当の方々もきてくれた。

そのクラブオーナーの恋人はトルコ在住で、遠距離恋愛をしているが、今は建国記念日だから帰ってきているという。

妹はドイツで、同じクラブをドイツで立ち上げるために働いている。

「東京でもやりたいな」と夢を語る。

レコーディングスタジオをスーダンでも経営している国際的ビジネスマンだ。


国外の人々も自由に入れて、自由に情報交換ができる。

親の代にアメリカ、カナダ、ヨーロッパに移住して、自分たちは外国生まれ、という世代がたくさんいた。

彼らは、アメリカ人、カナダ人、ドイツ人、として生きている。

つまり、いわゆる欧米的な民主主義にどっぷりつかって育ってきた人々だ。

そんな彼らが自由に入国できて、ビジネスも自由であるとすれば、独裁国家にとっては都合が悪い情報を流されたり、欧米メディアが、ぼろかすに叩いている自国の状況を広められてしまって「困る」のではないか?

かえってそんな余計な心配をしたくなるほどだった。

どこが最悪の独裁国家なんだ。

我々は滞在中、なんど語り合ったかわからない。


「ここって、アフリカの北朝鮮なんだよね」

「独裁国家なんだよね?」


HEAVENESE初の「独裁国家」への遠征という「不安と緊張」は、「古き良き日本」を見つける「なつかしさ」と、まったく犯罪を恐れる必要のない「安心」と「平和」というとてつもなく高価な宝によって、完全に

裏切られることとなった。

エリトリアでは「おしん」と「忠犬ハチ公」が流行ったという。

トヨタやソニーという「モノ」以外で、彼らが憧れる日本は「おしん」の世界であり、ハチ公の「忠実」さなのだ。彼らは日本人をそう見ている。

よく訓練されて忠実な人々だと。


本当にそうだろうか?

我々はそれをきいて恥ずかしくなった。

帰国してすぐに川崎の異常な殺人事件だ。

こんなものを彼らに見せられない。

そう思ったのは僕一人だけじゃない。

大国の思惑に翻弄されながらも、必死で民族や文化の独自性と自主独立を守ろうと戦うエリトリアの姿の中に、日本が見習わなければならない模範なのではないか。

そう強く思った。     

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