By Marre
世の中嘘に満ちている。
トランプ大統領がCNNをフェイクニュースだと叩いているのは有名だが、それにしてもエリトリア、
現代国家最悪の人権蹂躙社会で、独裁者に虐げられ、人々は苦しんでいる、という「イメージ」を流布している世界のメディアは大嘘付きだ。
渡航前のブログにも書いたが、とにもかくにもメディアが言うことは本当だろうか?
これが最大の関心だった。
確かにエリトリアは28年前の独立以来、一党独裁で選挙も行われていない。
公認されている宗教はエリトリア正教、ローマカトリック、プロテスタント、そしてイスラムで、
それ以外の独立系キリスト教やプロテスタントの集会は禁止されていて逮捕されたり迫害されたりしているということだった。
世界中のキリスト教系メディアが、エリトリアを解放せよ!と報道を繰り返している。
これはただ事じゃない。
特に僕のようにプロテスタントの牧師という立場もある人間としては、もしかしたらアメリカの回し者と思われ逮捕監禁されてしまうのではないか、などと緊張感を抱きながらエリトリアに向かったのだ。
どんな国にいっても、入国の時が一番緊張するものだ。
特に僕のように、以前出した本「聖書がわかれば世界が読める」について公安から圧力をうけたことがある者としては、(イスラエルから反ユダヤ的と疑われたため)、国民を監視し情報をコントロールしている独裁国家などと聞けば、果たして無事に入国できるのかと、多少なりとも緊張しても仕方がない。
イスラエル遠征のときは、入国できないのではないかとそわそわしながら、駐日大使の手紙もあったことや、外務省後援という民間外交だったことで無事に入国できてホッと胸をなでおろした。
さて、今回は大丈夫だろうか?
座長が入国できなかったらお笑いにもならない。
ただでさえ、太鼓や持ち込み楽器などで大量の荷物だ。
「これはなんだ?」と疑われても仕方がないほどの「物量」だ。
などと思いつついよいよエリトリア唯一の国際空港の入国審査の列に並んだとき、予想どおり時間がかかる。
一人一人厳しくいろいろ質問されているのか??
全員に、エリトリア国文化スポーツ庁長官からの正式な招待状のコピーを渡してある。
パスポートと一緒にその手紙を見せる段取りになっている。
一人、また一人と、無事に通っていく。
そして自分の番がきた。
「ハロー」
そう言うと、にっこり笑いかけてくれた。
遅いと思っていた理由がわかった。
なんと、ガラス越しのボックスの中でパソコンの画面を見ながら入力作業をしていたその男性がただ遅いのだ。
だって、なんと人差し指一本で打ち込んでるんだから。
しかも見るからにモニターも(裏しか見えないが)古い感じ。
「はい、ここを見て」とか、「指紋をここに」などというハイテクの身分照会作業は一切なし。
画面を見ながら手元にある紙のリストにそれを書き写して終わり。
HEAVENESEのチラシを渡すと「おおー!」と大喜びで興奮してくれる。
あれ?こんなに簡単なの?
と脱力してついにアフリカの北朝鮮に入国した。
我々一行は文化スポーツ庁による正式な招待だ。
日本で言えば文部科学省に該当する。
我々を案内してくれる人は言ってみれば役人、官僚だ。
どんなに固くスクエアで融通のきかない人が我々を「監視」するのかと、不謹慎ながら期待していた。
ところが、我々はついに監視されているというプレッシャーを感じることなく、帰国する日には、文化スポーツ庁の我々担当モハドさんとと名残おしくハグしあいながら、絶対また会いましょう!と涙をこらえながら別れたのだ。
結論から言おう。
もしこれがアフリカの北朝鮮で人権蹂躙国家なのだとしたら、世界に「まともな国」はどこにもない。
独裁国家にお決まりの「独裁者の肖像」など街に一つもない。
エリトリアでは大統領は特に神格化されていない。
我々が体験し目撃したエリトリアは「平和」そのもの。
日本が平和で安全だなどと言われるが、帰国して2日目に川崎で怒った子供を狙った無差別殺人事件の報道を見ながら、エリトリアの方がよほど安全ではないかと思った。
独立記念日の取材にきていた朝日新聞の南アフリカ支局の方と話したとき、治安はどうですか?と聞いた。
すると奥さんが殺されかけたことがあるという。
「エリトリアのような安全はありません」と言う。
エリトリアでは夜であっても女性が一人で出歩ける。
通りでは夜遅くまで子供たちの笑い声が聞こえる。
エリトリアでは恐怖が人々を支配していると書いているニュースやブログがうじゃうじゃある。
ところが、人々は笑顔で近づいてくるし、恐怖におののいている雰囲気など微塵もない。
外国人に余計なことを言ったら秘密警察に密告されるのではないか・・・
という類の「緊張感」や「警戒感」は微塵もない。
いやそれどころか、警官さえ親切で、我々の野外ライブのために警護してくれていた警官などは、笑顔ではなしかけてくれて
「君たちのコンサートは素晴らしかった。特に君の語ったことはエリトリア人の心を掴んだ」
と感想をいいにきてくれたし、別の警官は「また戻ってきてほしい」と握手を求めてきた。
あれ?
超監視社会なんじゃないの?
警察といえば国家権力の側でしょ?
なにこれ????
皆、ファッションには高い意識を持っているようで、なかなかオシャレな人たちが街を闊歩している。 カフェもあるしレストランもある。
こちらでは、マキアートが主流だ。
ティラミスもあるしチーズケーキもある。
衛生的な面をのぞけば、表参道のカフェとなんらかわらない。
イタリアに統治されていた歴史がある関係で、ピザやパスタが多い。
しかもおいしい。
国民の半数はキリスト教徒だが、イスラムではないので禁酒でもない。 みな夜にはバーで楽しそうに飲んでいる。
オシャレなライブクラブのオーナーさんが我々を招待してくれた。 「へえ、こんな場所があるんだ」 そう思った。
我々のホテルからほど近いレストランも、それはそれは繁盛していた。 サラダバーもある。
観光客がで賑わっているわけではない。
この国は観光大国ではないから、白人の観光客は8日間で50人もみかけなかった。
ドイツから医療支援できている国境なき医師団とか、国連関係の人々を見かける程度で、ぞくに言われるツアー客はいない。
したがってレストランを賑わせているのは地元民。
あるいは、建国記念日のために一時帰国しているエリトリア人。
そこにあるのは、いわゆる我々が知っている「民主主義の国」と全く同じ姿。
どこでも誰にも監視されていない。
何を話しても自由。
「僕たちには言論の自由がないんだ」と言う若者も普通に政治の話をする。
逮捕されるかもしれないから、と若い世代は今の政権に不満な人もいるらしい。
きっと一党独裁だから、明からさまな抵抗運動をしたら圧力があるのかもしれない。
ところがそれを警戒している風ではない。
我々がいたのは、建国記念日ウイークなので世界中からエリトリア人たちが帰国している。
超監視社会なのであれば、欧米に居住していて情報に明るいエリトリア人たちの入国を制限したり監視すればよいのにと思うがそういうことは一切ない。
ところが、あちらで二年生活している唯一の日本人で、ユニセフの職員である日本人女性いわく「こちらの人はテキストメッセージなど監視されていると思っているようです」と言う。
それを言い出したら、アメリカも日本もしかりで、ネットの世界でもはやプライバシーはない。
エシュロンがあるからほぼ世界中の人の通信は傍受されていると言っても間違いない。
それを我々は日頃自覚せず生きている。
ただ、エリトリアの人は「一党独裁」という体制のゆえにそれを意識している、ということなのかもしれない。
また独立してからまだ若い国ということもあり、独立後に現大統領の政権運営に反対する者たちへの圧力があったのだろう。
そういう歴史は想像できるし、きっと嘘ではない。
それゆえに難民も国境をこえて続出したのだ。
確かに通信の不自由さは否めない。
我々が滞在している期間独立記念日を祝うための期間は特に通信状態が悪いという。
確かに到着した初日につながったネットが2日目からほぼ不通になった。
だが、それが政府の監視なのかインフラの問題なのかは定かではない。
世界中から離散しているエリトリア人が帰国している時期だから一挙に人口が増える。
それで通信がパンクということもあり得るのではないか。
だがネットカフェに行けば、ホテルで普通だったラインも繋がったという。
突然襲ってくる停電もある。
これは電力の需要に供給が追いついていないために政府がコントロールしている計画停電だ。
だが、問題は「いつ、どこで、何時から何時まで」という情報もなくいきなりやってくる。
そういうこともあって、人々は政府が「監視」のためにそれを行なっていると思っているのかもしれない。
でもホテルにしても劇場にしても停電に備えて自前のジェネレーターを完備しているから、基本的に停電がおころうが問題はない。
独立記念式典の日は電話も不通になった。
これも政府がコントロールしているのか、回線がパンクしているのかわからない。
人々は政府による統制の一つだと思っているようだが、日常茶飯事なので彼らは慣れている。
突然電話がつながらなくなっても「そういうもの」とあっけらかんとしている。
こういうことが見方を変えれば「監視社会」の一つのスキームなのだと見えるのかもしれない。
だが、ホテルではお湯が出るのも宝くじにあたるうような確率の国だ。
全体として社会インフラは全く整っていない。
ネットや電話だけが快適というのもありえないように思う。
つまり、その他のインフラの状態を考えれば、監視体制があるかないかにかかわらず、「そうだろうな」と納得する程度の「不便さ」だということだ。
この国はエチオピアとの30年の戦争を経て、28年前に独立したばかりだ。
独立戦争で戦った勇士たちは今も生きている。
体に弾を受けた傷を持っている人々はうじゃうじゃいる。
そして独立国家として一つにまとまって国力をつけていこう、としている段階にある。
そのような国だと思えば、ある程度の「強権」をもった政府が存在していることは当然のことだ。
そうでなければ、権力の空白化がおこり、イラクのように大変なことになる。
僕は決して独裁政権がいいと言っているのではない。
ただ、エリトリアという国の発展段階を冷静に理解するなら、独立したからと言って、突然アメリカや国連が認めるタイプの「民主主義」の国に生まれ変わる必要などないと思っている。
だから現状で一統独裁という「体制」が敷かれていることは、必ずしも「悪」であるとは思わない。
そもそも、アメリカや我々が知っている「民主主義」が唯一絶対の「義」ではない。
アフリカの多民族社会には、彼らの伝統と常識がある。
なんと言っても独立してたった28年だ。
独立後に内戦にもならず平和を保っているという現実は非難されるよりも賞賛に値する。
つづく
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