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執筆者の写真HEAVENESE

エリトリア遠征⑤文化シポーツ長官表敬訪問 想像していなかった歓待!!

5月20日((月)

国をあげて我々チームを大歓迎してくれてることがよくわかる出来事だった。

我々の存在は特別なのだということを実感させてくれた。

残念ながら、座長Marreが体調不良のため、1日ホテルで休まざるを得ない状況で、Kumikoも看病のために残ることになったため、座長夫妻が欠席せざるをえない表敬訪問となった。

昨夜、下腹部のS字結腸あたりの痛みと、機能せずパンパンとなった腸の状態を触診した医療チームが、最悪の場合は腸閉塞だという。その場合、エリトリアで開腹手術するのは、どうしても避けなければならないから、最悪の場合はすぐ帰国するしかない。

Marre本人は絶対に帰国のアイデアに賛成するわけがない。

しかし、Kumikoとしてはそれもやむをえないかもしれないというギリギリの選択をしなければならない。

そんな重圧の中、とにかく、今日一日様子を見るために座長としての務めを辞退させ、長官宛てのメッセージをメンバーに託すことにした。

Kumikoは、部屋に一城と後援会長堤を呼び、ことの次第を説明した。

そして一城にメッセージを託すのでそれを長官の前で読み上げるように頼んだ。

また堤にも、後援会長として、一座を代表して文化スポーツ庁長官との懇談をうまく取りまとめてくれるように頼んだ。

MarreとKumikoを除く一行は、民間外交の大切な場に座長抜きで対峙する初めての事態に、心を引き締めながら文化スポーツ庁へと出かけていった。


待っていたのは、心のこもったもてなしだった。

座長名代の堤と一城ほか数名以外は、歓迎会の準備が整っていた大広間へ通された。

堤と一城たちは、長官室で長官がくるのを待つ。

しばらくすると、白髪の紳士が入ってきた。

ゼメディ長官だ。

通訳の夏子が、座長夫妻がこれなかった旨を伝え、一城がメッセージを読み上げた。

エリトリアの特別な独立記念を祝う機会に呼んでくださったことの感謝するとともに、国際交流基金、外務省、日本を代表してこの28回目の独立記念日のお祝いを申し上げ、これからの日本とエリトリアの関係が深化することを願っている旨を伝える短いメッセージだったが、一城が一言一言思いを込めて、Marreからの言葉を読み上げると、長官も非常に嬉しそうに頷いた。

その後、長官含め、歓迎会会場に移動した。

エチオピアもそうだが、このあたりはオフィシャルに歓迎する際、床に葉っぱを敷き詰め、花びらをまく。

そしてコーヒーセレモニー。

一年半前、エチオピアで初めてこの独特な歓迎を見たとき「アフリカ」を感じたものだ。

HEAVENESE一行は、エチオピア遠征の経験から、この民族的な独特の歓迎のやり方を知っているので、

一目見て「受け入れられている」という喜びに満たされた。

我々一行に、長官はエリトリアの28年の歴史について丁寧に話してくれた。

なかなかダンディなゼメディ長官

エリトリアは紅海という意味であるが、この紅海には2つの大きな港があって、これらの主権を巡る西洋諸国の覇権争いが絶えることなく国として独立することが難しかった。

1991年にやっと独立を勝ち取り、最初の7年間の経済成長も著しく、国家としても安定していたそうだ。

ところが、1998にエチオピアとエリトリアは国境付近の一つの村の領有権を巡る対立が起こった。

長官の話によれば、独立時にエリトリアとして認められていた村に対して、エチオピアが領有権を主張を始めたということだ。

その戦争のせいで、勢いよく成長していた経済成長が止まり、厳しい時期を迎えたそという。

エチオピアにはアメリカが付いていたため、エリトリアが正しくても他国がエリトリアの肩を持つことがなかったと。

そうした苦しい時期を乗り越えて、昨年エチオピアと平和協定を結び、国としてこれまでで最も良い時期を迎えているということで『君達は良い時に来た』ということだ。

これは渡航前、駐日エリトリア大使からも言われていたことだ。

一番いい時期だと。


街で見かけるエリトリア人は、ほぼ全ての人々が笑顔で手を振ってくれる。

時には握手を求めてくることに感動していることを伝えると、長官は「私がこの国が幸せであることを人に言ってもなかなか信じてもらえない。しかし他のアフリカを回ってからエリトリアに来た人は、私の言葉が本当だったと言う」と言った。

確かに、我々は到着してから、一度も危険を感じたことがない。

夜も女性が一人で出歩ける。

治安はすこぶる良い。

日本にいるよりも安全だと感じるほどだ。

長官は、予定時間を大幅に超えて、我々をもてなしてくれた。


「これだけ多くの日本人が来てくれたのは、初めてのことです。昨年、日本から始めて太鼓のチームが来てくれましたが、これほどの大人数ではありませでした。それに、皆さんは、太鼓だけでなく、それ以外の楽器もまざっている大きなチームです。

それだけ、私たちも大きな期待を抱いています」


長官の言葉は、我々が受けたこころずくしのもてなしによって、嘘でないことを、我々一行は全身でひしひしと感じた。

国連や西側諸国から非難され、アフリカの北朝鮮だと噂される国で、我々は平和を満喫し、この国の人々の心からのもてなしをうけた。

メディアが伝えるエリトリアとは、全く違う姿の現実を、我々は目撃していることを、さらに実感する1日となった。


ゲストが最初にナイフを入れるのがエリトリアのもてなし


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