エリトリア遠征1.マレが倒れた!波乱のスタート

最終更新: 2019年6月2日

2019 May 17

ついに出発の日。

もう今週のことだというのに、現地での細かいスケジュールなど何もわからない情報難民化した中で出発の日がきた。

駐日エスティファノス大使からは「Everything is OK. They are waiting for you」と言われていたが・・・


本隊は今日出発。

Lue、Maki, Tomoko,そして忍者Morizoだけ19日に出発する。



午後6時に成田空港南ウイングのエチオピア航空カウンターで団体でのチェックイン開始の段取りになっている。

太鼓に加えてキーボードなどの大型楽器も持ち込む。

荷物の量は半端じゃない。

仙川から機材車を走らせる者、福岡から飛行機で乗り付ける三味線Motoki。


いざ出発! お決まりの出陣撮影

各々が予定に間に合うように空港に向かっているとき、エリトリアに先乗りしている夏子からグループラインに連絡が入った。


「みなさん驚かないでください。本番の日程が元に戻っていました!!」


もともと決まっていたライブの日程は21日シネマロマで、22日がシティーパーク。

この日程だけはj早くから決められていた。

これ以外の情報が全く来なくて困っていたのだ。

だから、日本でこの日程入りのフライヤーを印刷していたしウェブにも告知していた。

ところが、夏子が現地に入ると日程が一日前倒しになっていることが判明した。

20日と21日だというのだ。


20日がシネマロマだと、後から来る一行の飛行機が遅れた場合間に合わない。

「なんで、こういうことになるんだろうね?」

「これがアフリカですよね。シネマロマもそのつもりですし、20日が本番ということで、政府からインビテーショケットが各大使館にもすでに配られています」


座長マレと夏子の間でこんなやりとりが、メッセンジャーを介してなされていたばかりだった。

文化スポーツ庁の担当の方も「上が決めたことだからもう変えられない」と繰り返すばかりだというから、既に刷り上がってきたフライヤーの日程の上に、訂正シールを貼る対応をして1000枚のチラシをメンバーが振り分けて持ってきていた。

ところが、また元に戻っているという。

じゃあ、今度はシールを剥がさなきゃ・・・

元々のこの日程に戻った!でも大丈夫なのか・・・?

でも、こんなことで大丈夫なのだろうか?

20日と21日の予定で各国大使館にまでインビテーションが配られているのに、今更日程を変えて、果たして人は来るのだろうか?

3日後が本番だ。

どうなってるんだー!!!

これが出発前の状態だった。


21:25発のエチオピア航空ET673便。

韓国仁川空港経由だ。

ほぼ時間通りに飛行機は飛びだった。


それにしても、韓国での乗り継ぎにどんな意味があるのだろうか?

すでに成田でセキュリティチェックも済んでいるのに、

たった一時間の乗り継ぎの間、機内で待たせてくれない。

わざわざ手荷物をすべて持って外に出て、再びセキュリティーチェック。

長い行列にならぶ。


マレが言う。

「日頃は見ない邦画をみちゃいましたよ」

といっても映画の本数が少ないので観るものは限られていた。

するとディレクターの小林が「はやり。同じのもを見てました」と笑う。

「ちょうとクライマックスのところで着いちゃいましたよね」と。


搭乗チケットをどこにやったかわかず探しているものもいて時間がかかった。

チケットの半券を見せないと、再搭乗のチケットをもらえないという不便さ。

一度乗れば半券などどこに入れたかわからなくなってしまうことも多い。

とにかく不便な乗り継ぎだ。

ようやくチェックが終わると「21番ゲートに急いでください」と言われてひた走る。

トイレによる時間もない。

韓国仁川でのトランジット。速やかにゲート21へと書いてある

仁川国際空港 夜中だから誰もいない中、ゲートへ急ぐ

滑り込みセースというぎりぎりの乗り継ぎ。

一体なんのためなのか?

夜中の12:30。ただ疲れるだけ。


そこから約12時間のフライトでエチオピアのアディスアベバへ飛ぶ。

アディスからまた乗り換えて、エリトリアのアスマラ国際空港へと向かうのだ。


あと数時間でアディスアベバへ到着という頃から、座長マレの体が変調をきたしてきた。

腰の痛みがひどくなってきたのだ。

つい最近、あまりの激痛で胃腸科クリニックを受診したばかりだった。

レントゲンでは異常は見当たらないし腫瘍などの異物は見えない。

しかし、腹痛と同時に襲ってくる腰の痛みから「結石かもしれない」という医者の見たてもはずれて石も見当たらない。ということで、内視鏡もやってみるが、その予約は帰国後に入っている。

ただ、「これを飲んでみて」と処方された薬を飲むと症状が劇的に改善することがわかった。

その結果、わかるのはマレの腸の動きが悪いらしいということだ。


それがなんであれ、その症状が出てくると、下腹部から腰が異常に痛くなる。

もはや飛行機の座先にすわっていられなくなってきた。

同時に襲ってきた言いようもない嘔吐感に耐えかね、マレは突然もどしても大丈夫なように備え付けの紙袋をもって一番後ろのトイレに駆け込んだ。


仁川を離陸してからの揺れがひどかったので、乗り物酔いなのか、あるいは機内食にあたったのか・・・しかし、いつもの腹痛や腰の痛みは乗り物酔いや食あたりにも思えない。


機内食チキン これがあたったのか・・・

これはいける!ベジタリアンミール

マレは一人、とにかく狭いトイレの中、苦痛と戦っていた。

しばらくして、一旦外に出たが、もはや歩くことができない。

トイレの外に座り込むようにしていると、心配そうにキャビンクルーが「ここに座りなさい」と折りたたみのクルー席に座るように促す。


その後も何度かトイレに入ったが、嘔吐するわけでもなく、下痢になるわけでもない。

ただ、異常な膨満感と嘔吐感と悪寒と暑さが同時に襲ってきたような不快感でどうにもならなくなってきた。

「まさか、まだ目的地についてもいないのに、ラリベラの再来か?」(ここを参照)

できれば誰にも言いたくないし大ごとにしたくなかったが、ここまでひどいと、医療チームに助けを求めるしかない。

今回は、ドクター、薬剤師、そして鍼灸師の三人が帯同している。

幸い、一番後ろの方に座っていた薬剤師の島谷さんに、「としこちゃん(ドクター)呼んでもらえないかな。ちょっとかなり具合が悪くなって・・・」と伝言した。

これで、不本意だが座長が具合を悪くしていることが周知されてしまう。

一人で自己完結して何事もなくやり過ごそうとする努力ではどうにもならなかった。


ついにドクター正木がやってきた。

しばらくして、30分以上も席にもどらない夫を心配して久美子も様子を見に後方までks理駆けつけた。


ドクターがいろいろ症状を聞く。

彼女としては前回マレが高山病の症状がひどく出たことを踏まえて、高山病への予防と対策の指導はしてきた。

ところが「腹痛」だという。

「そっち???」

消化器の専門医ではない。

困ったことになったと思った。

乗り物酔いかもしれないから、その症状を緩和させるための薬を飲ませた。

薬剤師島谷はホメオパシーもやっている。

「これも飲んでみてください」とマレに差し出す。

もはや立ち上がることもできなくなったマレは、後ろから二列目にちょうど三席空いていた真ん中セクションに横になった。

すると、今回初めて「応援団」として同行している鍼灸師の島崎がやってきて「マレさん、お腹が苦しいということで、ちょっと診てもいいですか?」という。

『島崎さんにも伝わってしまったか』と思いながらも、マレは苦しそうに「お願いします」と力なく言った。


島崎が触診すると、明らかに腹部全体が腫れている。

腸の動きが悪く詰まっているのがわかるという。

ドクターも「腫れてるね」と触診する。

「これを流します」

島崎は腹部を撫でるように、腸に詰まっているものを下へと流し始めた。

異常な膨満感と苦痛が少し和らぐ。


機内でマレが倒れたと知った渡航メンバーの中に動揺が走る。

回復を祈る者たちの中にもラリベラの記憶が蘇っていた。

突如襲った異常な苦しみに悶え苦しんでいたマレだったが、少しずつ症状が和らぎ始め、

なんとか自分の席に戻った頃、よいよアディスにむけて飛行機は着陸態勢に入った。



アディスの空港では一時間のトランジットだ。 1年半前のエチオピア遠征の際、ラリベラまで国内線で飛んだ者たちは「ああ、こういうとこだったよな」と思い出しつつも「以前よりキレイになったよね」と語り合った。

工事をしているらしい様子が見てとれる。


ちょうどその頃、日本で旅の無事を祈っているHEAVENESEのベースであるキックバックおよび関係者の元に「マレさん体調不良!ぜひ回復をお祈りください」とメールが届いていた。

アディスの空港に降り立ってすぐ、フリーwifiiがつながると、IKKIが状況を伝えるメールを送ったのだ。

「マジ?行きの飛行機で???」

ラリベラでのことをよく知っているキックバック店長はじめスタッフたちも一様に驚き、留守を守る彼らも状況がわからないながらも心を合わせて回復を祈った。


ここから小型機でエリトリアまで飛ばなくてはならない。

果たして無事に入国できるのか・・・・

こうして、音楽外交使節団HEAVENESEのアフリカ遠征第二章、エリトリア独立28周年記念祭へのオフィシャルゲストとしての旅は緊張の中で幕を開けたのだった。


つづく