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品川漁師町
江戸払いとなった箕作父娘が移り住んだ場所。
江戸払いは、品川、板橋、千住 四谷の大木戸の外に追放する刑だ。品川の大木戸跡が現在の高輪に遺っている。
文政元年(1818年)に、品川宿も江戸の一部であると幕府によって定めたが、江戸払いの刑は、江戸の入り口である大木戸の門の外に追放されたもので、品川宿を含めた品川一帯に移り住むことは、違法とはならなかった。


像の鼻のような細長い漁師町




地図でわかるように、当時も細長い洲崎の真ん中を一本道が貫いていた。現在も当時のままの細い道がのこっている。埋め立てられて様変わりしたが、当時の漁師町に思いを馳せることができる。この道を、箕作喜差は毎日行き来していた。
洲崎の先端、現在の利田神社から漁師町方面を望む


元漁師町の入り口にお洒落なカフェが一軒だけある

当時の品川浦は、海苔の産地で漁師町の領地たちのほとんどな海苔漁を生業にし ていた。

東京が首都として発展する歴史の中で、昭和まで続いていた品川周辺の海苔漁は完全に姿を消した。

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