エリトリア遠征④予期せぬ魂の交流。そしてマレが再び倒れる・・・。

5月19日。

10時少し過ぎにバスが迎えに来た。

ものの5分もすると、大通りにつながる脇道の途中でバスはとまった。

靴を磨いてもらっているメンバーが目に入ってきた。

靴磨きを商売にしている若者たちが、せっせと磨いている。


久美子が言う。


「アメリカでもそうなんだけど、黒人は本当に靴を綺麗にするんだよ」


アメリカで10年、とくに黒人たちの間で生活してきた久美子は、アフリカンアメリカン文化をよく知る。


「こういう一つ一つを見ると、アメリカの黒人たちのルーツがこっちなんだなって思う」


地元ミュージシャンたちが練習しているスタジオを訪問する予定だが、ここなのだろうか?

我々がバスから降りると、はやり衣装効果もあって人が寄ってくる。

”Hi”

と声を掛けるとにっこり笑って必ず答えてくれる。

日本人だとわかると、とにかくみな嬉しそうな顔で迎えてくれるのだ。

夏子が立ち話をしていた男性をMarreに紹介した。

彼の家族はもともとエチオピアに住んでいたが、エリトリアとの戦争が始まったことで、強制的に家族ごと国外退去となって今はエリトリアに住んでいるのだという。

隣の男性が「We are the same people. エリトリアはエチオピアを愛しているのだ」としきりに訴えていてた。

エリトリアのマジョリティであるティグリニャ族は、エチオピア北部にもいるから、文字通り彼らは同じ民族だ。

ティグリニャ語はエチオピアの公用語の一つでもある。

アフリカの複雑さは、日本人の「国」の概念では非常に理解しにくい。

そもそもアフリカの国境はすべて植民地時代に西洋人が勝手に線をひいたものだ。

部族単位で文化を築いてきたアフリカに、西洋人の植民地主義利権による国境が引かれたことで、同じ民族どうしが、アフリカのあちらこちらで別の国の住人となっている。

だから日本のように海に囲まれていて、日本人がみな「日本人」として同じ「民族」意識で一つにまとまって生きている世界の中で醸造された常識で「国」とか「国境」という言葉を使っているとアフリカを理解できない。

エチオピアとの独立戦争の末、自由を勝ち取ったエリトリアにとっても、民族としては国境をまたいでいる人々もいるからだ。

「政治に解決はない。愛だけが勝利するのだ」と彼らは訴えていた。

エチオピアとの30年に及ぶ戦争のすえ、分断されてしまった家族もいる。

エリトリア人とエチオピア人の夫婦というのもたくさんいるのだという。

ここに複雑な国の事情がある。

靴磨きをしている真向かいの建物から、若者たちが椅子をもってできてた。

図ったかのようなタインミングで停電になり、スタジオ内は真っ暗なので、外でとりあえず、お互いの自己紹介をしようということになったらしい。

大通りから車はは入ってこれない構造になっているから、5メートルほどの道全体に大きく輪になるように椅子をならべて皆で座った。


文化スポーツ庁のモハドさんが進行役でまずは我々日本人から自己紹介をした。

Marreが英語で挨拶。

こちらでは子供たちから大人までほとんど英語が通じる。

一人一人の名前、そして楽器。

続いて彼らの自己紹介。

エリトリア人は、全体的に皆スリムだ。

超肥満という人はほとんど見かけない。

シャイで、恥ずかしそうにはにかんで笑う姿など日本人にそっくりだ。

集まったのは、伝統楽器のグループで、彼らはプロの演奏家たちなのだという。

いつもは、スタジオで練習しているらしいが、そのスタジオが停電なので外に出てきたというわけだ。

彼らが手にしているギターのようなKrarという伝統楽器のエレキ版らしい。

弦楽器もパーカッションもいる。

リコーダーを持っている者もいる。

電源がはいってないから大きな音は聞こえない。

一通り自己紹介をし終わったが、まだ停電のままなので、まずは何か日本人がやってくれということで、アンプラグドでリフトをやった。

ベースもキーボードも使えないので、Motokiの三味線とIkkiの担ぎおけ。

まだLueがエリトリア入りしていないので、忍者Tの桶太鼓。

そしてNaoyaがサックスでベースラインをひき、Yutaが尺八。

マイクもないがKumikoが歌った。

次から次へのなんの騒ぎかと、大通りから人が集まってきた。



LIFTの後は、彼らの番だ。

アフロヘアが爆発している一見してイケてるミュージシャン風の男性リードし、がKrarをひきながら軽快な民族リズムで歌う。

リコーダーをエスニックに吹いているものもいる。バイオリンのような弦楽器もある。

非常にグルーブのあるリズムにのせてチャントなのか、かなりいけてるかっこいい、これぞアフリカと思わせるメロディー。

エスニッックで、ご機嫌な心を高揚させてくれる音楽。

DNAが沸騰する。


一曲終わって、我々が「アンコール」と叫ぶと、はじめはシャイだった彼らも乗ってきたのか次の曲をやり始めた。

すると途中でアフロ爆発男が立ち上げってステップをふみ、久美子の手をとって踊るように導いた。

久美子はリズムに合わせて、見よう見まねでステップをふむ。

盛大な拍手が起こった。


さらに多くの人だかりが出来始めた。

ヘアメイクチームも応援団も手に持っているフライヤーをどんどん配る。

そして、一城と忍者Tの太鼓デュオ。

Yutaが「笛持ってきてるので阿波踊りできますよ」と囁く。

「そうだ。やろう!」

そして、エリトリア初の「阿波踊り!」

皆に立ち上がって一緒に踊るように促したが、こちらの人々はシャイだ。

それでも何人か混ざって踊ってくれた。

一段落するとモハドさんが、今度は話をしましょうという。

何か質問はないですか?

というのでMarreがJapanときけば何を思い出しますか?ときいた。

群衆の中から一人が「Sony」という。

さらにある人が「トヨタ」と。

確かにソニーのテレビはホテルにも入っている。

トヨタは街中にあふれている。

アニメは知ってるかときくと、日本のアニメはほとんど入っていないという。

コリアンのものが有名だと。


ところが、「おしん」は見たことがあるそうだ。

直也が「基本的なリズムはどういうものですか?」と聞く。

すると、彼らのうち二人が前に進みでて、9つの民族のリズムをデモンストレーションしてくれた。



モハドさんが「これはクナマ」「これがティグリニャ」と説明してくれる。

「誰もがみなどこの部族のなんのリズムが分かるということですか?」

「もちろんです」

久美子がそれを受けて「伝統的な踊りは踊れませんか」というと、

リズムが始まった。

それまで恥ずかしそうに無言で和の男性が二人立ち上がって踊り始めた。

また久美子を手招きで踊りに加わらせる。Yutaもだ。

エチオピアのクスクスたは肩を動かす特徴があるが、彼らはそれと少ししている動きを始めた。

久美子が「別の人、別の人。はいって」と忍者Tを呼び込んだ。

NnjaTが見よう見まねで肩を動かす。

笑いが出る。



二度と見れない史上初、忍者とエリトリア人の即興ダンスだ。

最後には、彼らがサバ・サビナを歌い始めた。

最初の挨拶のとき、我々が二曲、サバ・サビナとシャララ。

現地の曲を練習していることを伝えていたからだ。

久美子も混ざりサバサビナをジャム。

かなり人々の手拍子も大きくなった。

続けざまにシャララに変わった。

この曲はMarreがボーカルを練習していたので、歌詞をみながら混ざった。

バンドもまざる。

二時間はあっという間に過ぎ去った。

初めて出会ったエリトリアの人々と、音楽とリズムを通して深い心の交流が実現した。

国の歴史や複雑な事情、戦争だ戦った人たちや、今も傷を追っているであろう人々など、

さまざまな人間模様がリズムとともにそらに溶け込んでいく。

大盛り上がりの文化交流は非常に有意義な時間となった。

奇しくも、ちょうどよい時間に停電になってくれたおかげで、スタジオ内ではなく、外でジャムセッションとなった。

結果、人だかりができて、チラシもほとんどはけた。

プロモーション効果も絶大だった。

初日のスケジュールは神の采配としか言いようのない大きな祝福となった。



初めてきた国エリトリア。

ここは独裁国家なのか?と思う。

陽気な人々と平和な雰囲気。

人々から悲惨は伝わってこない。

確かに立ち話をした男性のように、複雑な思いを抱えている人たちもいるだろう。

それでも、9つの民族が融合する平和を築いている。

宗教戦争もない。

ホテルに戻るバスの中、久美子がMarreの顔色を気にしている。

「どうしたの?具合悪そうだけど」

「ちょっとだけからだが痺れている」

ドクター正木が速やかに「酸素はかります」と言って指に装置を挟んだ。

「83ですね」

「それって普通でしょ?」

「普通じゃありません。ものすごく低いです」


どうやら低酸素の痺れのようだ。

急に阿波踊りをやったの影響したらしい。

正木が大きく吐いて、そして吸って、と高地での呼吸法を思いださせる。

久美子も同様にMarreに指示を出す。

すると徐々に酸素レベルもあがってきた。


標高2400m弱というのは、深刻な高山病を心配するレベルではないが、階段を登れば息がきれるし、激しい運動をすれば呼吸が苦しくなる。


ホテルにもどってから、昼を食べにいくもの。

部屋で休むもの。

それぞれ自由行動となった。

6時半に集合となる。

小林から「みなさん、せっかく衣装をきているので、散歩に行く人はそのまま行ってください。きっとどんどんフラヤーがはけますから」

メンバーが衣装で街に繰り出すと、多くの人が寄ってくる。

とくに子供たちは、屈託のない笑顔で近づいてきては、フライヤーをくれと言ってくる。

我々一行がただの観光客でないことが明らかにわかるので、皆なにごとかと、面白そうによってくる。

「チャイナ?」と聞かれることが多いが「ノー、ジャパンだ」というと、みなが「おー、ジャパン」と嬉しそうにしてくれる。

皆が衣装のまま街に繰り出したおかげで、初日にしてほとんどなくなった。



Marreと久美子も、小林や堤らと、夕方から少し市内を歩いた。

本番の会場シネマロマも外観を見た。




堤は朝から早朝から街中を歩き回っていた関係で、すでに地理に詳しい。

帰り道、Marreはまた体調の異変に気付いていた。


無口になる。

「大丈夫」

久美子が心配するが「大丈夫だよ」と言って歩き続けたが、部屋に戻ると、ソファに横になり休んだ。

飛行機の中で体験したような、痛みが少しずつ戻ってきた。

嫌な予感がした。

6時半にミーティングのために中二階のテラス部屋に集合した。

1日の感謝の報告を小林が全体にしてくれた。

「今日のあのタイミングでの停電は天の采配としか思えませんでしたね・・・」

この間もMarreの具合は悪くなる一方だった。

では、マレさん、一言お願いします。

そうふられたが、言葉に力が入らない。

「この後、今日は日曜日なので夕礼拝をいたします。30分後に集合してください。自由参加です」

そういって一旦散会させた。

この夜、マレが読んだのは新約聖書ローマ人への手紙11章29節だった。

”神の賜物と召命とは変わることがありません”

ここから短く、このチームがエリトリアという建国してまだ28年しか経っていない国に来たのは、自己実現や何かを勝ち取るためではなく、天から与えられた賜物と召氏であって エスティファノス大使の強いリーダーシップによって遣わされてきたのだ、ということを確認した。だから各々の、やりたいことやるのではなく 話し終わると、腹部の痛みとしんどさがピークに達して、立って歩くのもやっとの状態になった。

腸の動きが非常に悪化していることが原因と思われる。

ルーム19で、医療班が対応した。

もともと腸の動きが良くない状態で高所にくるとさらに動きが悪くなるらしい。 飛行機も高度1万メートルを飛ぶので、機内の気圧は0.8程度に保つという。 味覚も鈍くなって機内食は通常より塩気が強いというのだから、体のいたるところに変化が現れる。 そういえば、昨日ホテルで食べた日本から持ちこんだポテトチップスも袋がパンパンに膨らんでいた。

だから、腸もむくむのだそうだ。

こちらの環境に体が順応してくれば落ち着いてくるはずなのだが。


自室に戻ったとき、起き上がるのも、着替えるのも力がなく、 腹痛と膨満感、そして胸焼けのような不快感の極みの中、倒れるようにベッドに入ったのだった。


こうして、チームにとっては祝福となったエリトリアでの最初の日、

マレの看病をする久美子は、渡航前から懸念していた”起こってほしくないこと”の全てが起こった夜を迎えたのだった。


続く